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医師でTV『スッキリ』や『情報ライブミヤネ屋』のコメンテターとしても活躍されているおおたわ史絵さん。
著書もたくさんあり、大変忙しいお方なのかなと思われます。
今回は、そんなおおたわ史絵さんに焦点をあててみました!
おおたわ史絵氏のwiki経歴!
「プリズン・ドクター」として受刑者たちの診療を行うおおたわ史絵氏。多くの犯罪は依存症がかかわっていると言います。自身も依存症を患う母を持ち、機能不全の家庭に苦しんだ子ども時代。その経験をまじえながら「成育環境の大切さ」を語ります。 https://t.co/ZOrxTuF7Iu
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) August 23, 2023
おおたわ史絵さんは、開業医の父と看護師の母をもち葛飾区で生まれます。お二人とも既に他界されています。
母親は、盲腸の手術の後、当時は禁止されていなかった薬物を鎮痛剤として摂取するようになり、内科医の父親もそれを認めていたのですが、いつしかそれが習慣化し、なくてはならないほどになり依存化。
薬が効いている間は、教育熱心な前向きな母親だったようですが、切れると物を投げるなど薬物依存の症状が、史絵さんが子供時代から学生時代、医師になってからもずっと続いていたようです。
【おおたわ史絵さんのプロフィール】
氏名:大多和史絵(おおたわ ふみえ)
生年月日:1964年10月15日
出身:東京都葛飾区
血液型:
身長:
学歴:東京教育大学附属小学校卒、筑波大学附属中学校・高等学校、東京女子医大卒
趣味・特技:
事務所:アンダーパレス
職業:内科医、プリズンドクター(法務省矯正局矯正医官)
【主な著書】
その教育熱心なお母様のおかげなのか、本人が勉学の方に集中(逃避?)せざるを得なかったからなのか、もちろん遺伝的に頭が良いというのもあるかと思いますが、りっぱな学歴をお持ちです。
筑波大付属を経て、現役で東京女子医大に合格されています。
パッと見て華やかな印象のおおたわさんですが、家庭環境では悩める環境だったと知ると、医師の家庭で何の心配もせずにすくすくと育ったお嬢さま、というイメージはなくなりますね。
そうした経験からか、プリズンも恐れず、法務省の刑務所のドクターとしても活動されています。刑務所に収監されている人は、他に行き場がないため病気治療を途中で投げ出すこともなく、最後まで診れるのだそう。一般病院ですと、途中で来なくなってしまう人もいるらしいです。
おおたわ史絵氏の年齢は?
〈お盆休みスペシャル〉「毒親というより依存症の人」 おおたわ史絵が捨てた母親とは https://t.co/M2zOM8Bctm pic.twitter.com/iThuZOTD94
— AERA dot. (アエラドット) (@dot_asahi_pub) August 17, 2024
おおたわ史絵さんの年齢に関心が集まっています。
やはりそこは美人医師ですからね。
上のプロフィールのとおり、1964年生まれです。2024年現在、60歳です。
ゼンゼンそうは見えないですね、ずっと若く見えます。
おおたわ史絵氏の実家はどこ?
朝日新聞社telling,で、医師でコメンテーターのおおたわ史絵さんに取材しました。
転職や結婚・出産など、人生の大事な選択を前に、親の顔色を見てしまう。
長年にわたり、薬物依存症の母との関係に葛藤してきたおおたわさんに、アドバイスいただいています。https://t.co/WlA1L2aUmA
— 塚田智恵美 (@chiemi_t27) June 22, 2024
おおたわ史絵さんの父親は綾瀬中央診療所の開業医でした。
お父様は、2003年に他界されています。
おおたわ史絵さんは、大学病院勤務、救急救命センター、地域開業医を経て、2024年現在はプリズンドクターとなっていますが、一時期、 地域開業医としてこの綾瀬中央診療所に勤めていました。
院長は別の人となっているようです。
ここが実家も兼ねていたのか、或いは別の所にあるのか不明ですが、割に大きな診療所となっています。
おおたわ史絵氏の結婚した夫も気になる!
おおたわ史絵さんの旦那さんは、東京都豊島区南大塚にある大多和歯科医院の歯科医とのこと。
ネットでは、イケメンの旦那さんと言われています。
出会いは20代の研修医時代に友人の紹介で知り合ったのだとか。知り合って3年で結婚したそうです。
お二人にはお子さんはいないようですが、何せ多忙な史絵さん、家事は旦那さんがやっているという話もあります。
まさか何かのペナルティでやらされている、ということはないと思うので、家事を率先してできる旦那さんなのでしょう。とても頼もしいですね。
まとめ
TVでも活躍されている医師のおおたわ史絵さんについて、経歴や年齢のこと、家族のことや旦那さんのことなどについて書かせていただきました。
子どもの頃は、母親の異常性について意識していなかった、気づいたのは医学部に行ってからだということです。
人は自分の置かれた環境が普通とは違うということに気付きにくいかもしれませんね。傍から見たら「酷い」生活をしていても、当の本人はそれが普通だと思っていたり、悪いことを周囲がしていたらそれが悪いと知らずに自分も同じことをしてしまうかもしれません。
プリズンドクターとして収監された人々と接する仕事は、そういう面で、おおたわ医師の個人的経験とリンクさせることができる仕事なのかもしれませんね。