ジャニー喜多川さんの経歴と学歴!お気に入りは誰だった?ジャニーイズムは終焉か?

2019年7月9日、ジャニーズ事務所初代社長のジャニー喜多川さんが、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により逝去されました。

そして、その遺志を継いだタッキーこと滝沢秀明さんが、2022年9月26日に退任。

今後、ジャニーさんの想いを継ぐ人はいないのでしょうか。ジャニーイズムは消えて行ってしまうのでしょうか。

そんなことを心配しながら、今回はまず、ジャニーさんの生い立ちを知っているようであまり知らなかったことに私自身気づいたので、以下にまとめてみました。

ジャニー喜多川さんの経歴と学歴!

ジャニー喜多川さんは、戦前戦中を経験しており、しかも朝鮮戦争時代はアメリカの兵役義務を経験しているため、若い時代は波乱に満ちた人生を送ってきたようにうかがえます。

【ロスで誕生~日本~ロスへ】

ジャニーさんは、日本人の髙野山真言宗 髙野山米國別院の僧侶だった父諦道と日本舞踊の名取だった母江以との間に、次男としてロサンゼルスで生まれます。

1933年、一家はロサンゼルスから日本に帰国し大阪に居住します。子供たちの教育のためでした。

その後、太平洋戦争が始まり、戦争終結後の1947年、敗戦して荒れている日本よりもアメリカの学校に行った方がよい、との父親の判断から、子供たちは再びロスへ。

【高校~短大時代】

ジャニーさんは、高校時代は、英語を学びながら、アルバイトとして地元の老舗劇場 で音楽監督のアシスタントを経験したり、別の家庭に移り住んで住み込みの家政夫にもなったそうです。

高校を卒業すると、地元のカレッジに進学。

その頃、日本から芸能人が来て公演するのに、父親が勤めていた高野山米国別院の新寺院の集会場「高野山ホール」が使われることが多く、ジャニーさんはそこで現地コーディネーターと通訳を買って出ていました。

その縁で公演に来た美空ひばりさんらと知り合い、日本における芸能界進出の足掛かりともなったと言われています。

【ジャニー喜多川さんのプロフィール】

 

氏名:ジャニー喜多川

本名:ジョン・ヒロム・キタガワ

日本名:喜多川 擴(きたがわ ひろむ)

生年月日:1931年10月23日

出身:ロサンゼルス

血液型:AB型

身長:153cm

学歴:ロサンゼルス市立短期大学卒、上智大学国際部(夜間部)卒

趣味:野球

【兵役~MAAG職員】

短大を卒業すると、アメリカでは兵役義務があり、ジャニーさんは、アメリカの情報機関 CIAから、朝鮮戦争による韓国の戦災孤児に英語を教えながら諜報活動をすることを命じられました。

そのため、1952年、通訳の助手という肩書きで再び来日して韓国語を猛勉します。約10カ月で習得した後、韓国に行き、約1年2ヶ月間、子供たちに英語を教えました。

その後はアメリカに戻ることなく、再び来日してアメリカ合衆国大使館軍事援助顧問団(MAAG)の職員として勤務しながら、上智大学の夜間部で勉強します。また、大学時代はバンドも組んでいました。

【ジャニーズ誕生】

MAAGの職員も泊まれる独身寮が渋谷にあり、ジャニーさんは、近所の少年たちに野球をおしえはじめます。ある雨の日、練習ができないので、ジャニーさんは、そのチームの中の4人と映画「ウエストサイドストーリィ」を観に行きます。

そして皆で感動し、ジャニーズを結成することになったのです。その時のメンバーは、飯野おさみさん、真家ひろみさん、中谷良さん、青井輝彦さん。

この中でチヨコが知っているのは、あおい輝彦さんです。昔ソロで歌がヒットしていたかと思います。

MAAGは、1966年に退職したそうです。

ジャニー喜多川さんのお気に入りは誰だった?

ジャニーさんは、お気に入りの子については、しょっちゅう自分の膝にその子を乗せているのだとか。

よくお父さんが子供を膝に乗っけている、あの風景でしょうか。

ある程度の年になるとイヤがるかと思いますが、みんなおとなしく従っていたのか、幼くてイヤだという意識がなかったのか・・それはわかりません。

ジャニーさんのお気に入り、とされているメンバーは、ファンの間では有名です。私がざっと見たところ、

堂本剛(Kinki)、松本潤(嵐)、佐藤勝利(Sexy Zone)森本慎太郎(SixSTONES)、平野紫耀(King & Prince)、道枝俊佑(なにわ男子)、亀梨和也(KAT-TUN)、横山裕(関ジャニ∞)、滝沢秀明(以上敬称略) かなと。

他にも何人かいるかもしれません。

それは、膝に乗せたからではなく、殆どの人がジャニーズに入所する経緯が他のオーディションを受けて入ってきた人たちとは異なるからという理由です。

何でもジャニーさんは、瞬時に将来の顔がどうなるか、見抜くのだそうです。

10代の男の子の顔は、成長すると全く違う顔になったりしますよね。女子もそうですが。

アイドルとして美少年であるためには、大人になっても美しい顔が条件でしょう。それを子供のうちから見抜くのです。

そう考えると、名前の挙がった人たちは、少年の頃と顔があまり変わっていませんよね。

そして、身長170cm以上の人は採用しないのだとか。

瞬時の判断やジャニーさんの基準にかなった人は、即入所OKとなるのでしょう。そして、彼らがお気に入りともいわれるのでしょう。

中でも滝沢さんは、後継者の指名を受けているということで、ジャニーイズムを最も受け継いだ人だとも言われていますね。

ジャニー喜多川さんのジャニーイズムは終焉か?

今、滝沢秀明さんもジャニーズを退社され、いったい誰がジャニーイズムを引き継ぐのか、ということが話題になっています。

ジャニーさんのジャニーイズムとは、どういうことでしょうか?

これについて、明確に答えたものは見当たりません。

ですが、いろいろな人の投稿や記事を読んでチヨコなりに考えたのは、「ジャニーズJr.の発掘や育成、舞台やライブの演出でそれが現れる」ということかなと思いました。

何故ならば、滝沢さんは、ジャニーさんが作・構成・演出を手がける舞台などで演出補佐を務め、ジャニーさんの手法や考え方を学んできたからです。ジャニーさんに代わって陣頭指揮をとることもありました。

また、jrの面接採用についても、ジャニーさんと立ち会ってきたそうです。

そうした中で、ジャニーさんの想いを引き継いで行ったのでしょう。

「ジャニーさんだったらどうするか。」と常に頭の中に置いていたということも、何かで読んだことがあります。

Kinkiもそうです。長い間、グループとして続けてきていますから。

滝沢さんの後任が、井ノ原さんということですが、彼には是非頑張ってほしいと思います。

まとめ

ジャニー喜多川さんの経歴を中心にまとめてみました。

タッキーに続いて、King&Princeから3人が脱退するということで、チヨコのハートは壊滅状態になるほど壊れてしまっているのですが、はたしていつか元に戻ることができるのでしょうか。

これでは、天国のジャニーさんは、のんびりしていられないのではないでしょうか。