桐島聡のwiki経歴と生い立ち!出身はどこ?両親や兄弟はどんな人?

1970年代前半に起きた連続企業爆破事件で指名手配されていた最後の犯人の桐島聡。

行方がわからないまま鎌倉市内の病院で病死したことがわかりました。

指名手配されてから半世紀も逃げていたわけですが、そもそも桐島聡とはどういう人物だったのでしょうか。

ここでは、生い立ちや家族のことなどについてまとめてみました。

桐島聡のwiki経歴と生い立ち!

【桐島聡のプロフィール】

 

氏名:桐島聡(きりしま さとし)

偽名:内田洋(うちだ ひろし)

生年月日:1954年1月9日

出身:広島県福山市

血液型:

身長:160cm位

学歴:広島県立尾道北高等学校卒、明治学院大学

 

【県立尾道北高等学校】

 

偏差値:64

所在地:広島県 尾道市 長江3-7-1

出身有名人:大林宜彦、青山高治、かわぐちかいじ

【明治学院大学法学部】

 

偏差値:55

所在地:東京都港区白金台1-2-37

出身有名人:奥田瑛二、義家弘介、古谷徹

広島の高校から上京し、明治学院大学に進学した当時、本人はテロに自分が関与すると思っていたのでしょうか。

高校時代は、電車で1時間かけて高校に通い、おとなしくて目立たないタイプだったそうです。

大学にはストレートで入り、1年生の時には映画研究会に入り、2年生の時には同和問題のサークルに入っていたようですが、長くは続きませんでした。

桐島が大学に進学した頃は、学生運動もピークが過ぎた頃で、反動で何事にも無関心な学生が現れる中、一部で過激な活動をするグループも現れていました。

桐島は、そうした過激な思想をもつ黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線の「さそり」というグループに所属し、20~21歳の時に企業への爆弾テロを仕組んでいます。

桐島は文系で法学部でしたから、爆弾は、仲間だった薬剤師の駒沢あや子が作っていたのでしょうか。

大企業、特に海外進出をしている企業を現地で労働者を搾取している敵とみなし、攻撃の対象としていきました。

そんなテロを企む一方で、爆弾事件を起こすギリギリまで、新宿歌舞伎町の大衆飲食店でアルバイトをしていたそう。

チヨコ・デリ

そういう話を聞くと、人に流される幼稚な面もあり、自分のやってしまっている事の重大さがわかっていなかったのかな、などとチヨコは疑ってしまうのです。

桐島聡の出身はどこ?

桐島聡の出身は、広島県深安郡神辺町で現在の福山市です。

現在の福山市は、広島市に次ぐ県内で2番目に大きな市となっており、中核市でもあります。

桐島聡の両親や兄弟はどんな人?

桐島聡の父親は農林水産省の地方職員でした。

桐島聡は姉が2人と弟が1人の4人姉弟です。

姉弟は何をされているのかは、情報はありませんでした。

ただ、桐島聡は長男だったので、東京の大学に進学した時は、家族の中でも期待が大きかったのではないかと推察します。

桐島聡は70歳で亡くなりましたので、両親はおそらく90歳以上ですから、もしかしたら他界されているのかもしれません。

桐島聡が病院で亡くなった際、本当に桐島聡なのかがわからなかったため、きょうだい2人とDNA鑑定を行ったそうです。

そのこと自体も、きょうだいにとっては、大変なことではなかったかと思われます。

周囲には知られたくないことですし。

また、遺骨の引き取りについては、拒否されたということから、桐島はやがて無縁仏として埋葬されることになるでしょう。きょうだいが生きていても、犯罪者の末路はそういうものでしょう。

まとめ

桐島の場合、身元がわかってしまう可能性のある生活保護の申請はできないですし、保険にも入れず、したがって年金も納めていないから支給されない、ということもあって、(仕方なく)働いていたのかもしれません。

それでも貯金があったのは、しっかりしていた、ということなのでしょう。

口調も穏やかだった、ということですから。

そうした真面目さを活かして爆弾魔などにならなければ、今ごろは家族と共に幸せに堂々と生きられたかもしれませんね。