近兼拓史のボンネビルの成績が凄い!出身高校や大学はどこ?嫁や子供について!

ネットサーフィンしていたら、面白そうな人を見つけました!

近兼拓史さんを皆さんご存じですか?

レーサーであり、映画監督でもあり、ライターもやられているなど、マルチに活躍している方です。

とても才能のある人みたいです。

興味をもちましたので、今回は近兼さんにフォーカスしてみたいと思います

近兼拓史さんのボンネビルの成績が凄い!

アメリカのボンネビルにおける大会に2年続けて挑戦したのが近兼さんです。

 

ボンネビルの大会とは
アメリカボンネビルで100年以上続いている世界最高速度認定競技会のこと。ボンネビル・モーターサイクル・スピード・トライアル(BMST)

それも、ただの挑戦ではなく、世界最小で最精密マシーンで挑戦したのです。

凄いです!

それまでも度々耐久レースなどに出ていた近兼さんですが、

今回もさらに命がけの挑戦になりますから、

・そんな小さいマシンでよくまあ挑戦しようなんて思ったワネ。

・危ないからやめなさいよ!

・もうそんな年じゃないでしょ。

・挑戦しても結果が出なかったらくたびれもうけでしょ。

・それが何になるの?

・お金いくらかかるの?

・モモンガ連れていくの?

と家族や親しい人からは普通だったら反対され、

それらを乗り越えて実現させなければならないわけですから。

結果的にこれらの壁は多分乗り越えて、

近兼さんは2018年と2019年に現地に向かいます。

そして見事に結果を残します。

2018年:125CCで世界最速のスーパーカブの称号

2019年:50CCで世界最速

ではここで、近兼さんがどのような方なのか、略歴等についてご説明しますね!

近兼さんは、かつてプロのレーシングライダーを目指していましたが、レース中や練習中のケガで断念します。

下半身不随の長期に渡る生活の中で、ライターとしての活路を見出します。

そしてメキメキと頭角を現し、週刊誌のライターやラジオの脚本などを手掛けるようになります。

そのうちに脚本だけでなく、番組制作も行うように。

何事にも挑戦するから、仕事も広がっていくのね。

そして、世界最小のマシンでFIMオーストラリアン・サファリーラリーに出場。

多くの各国レース関係者に「1時間も持たない」とか「自殺行為だ」と言われる中を予想を覆し走破。

1995年7月:阪神・淡路大震災の体験もあり、防災支援放送局として1995年7月にFMラルースを開局。

1996年:株式会社西宮エフエム放送を設立。

1998年:第三セクターのさくらFMを設立。

2003年:総合出版社としてラルース・パブリッシングを創設

2007年10月:ウィークリー・ワールド・ニュース』(以下WWN)日本版編集長に就任。

【近兼拓史さんのプロフィール】

 

氏名:近兼拓史(ちかかね たくし)

生まれ:1962年

出身:神戸市

学歴:??

肩書:

ウィークリー・ワールド・ニュース・ジャパン編集長、ラルース・パブリッシングCEO、ISMP(インターナショナル・スクール・オブ・モーションピクチャーズ)日本事務局長、社団法人ジェネリック家電推進委員会代表理事

職業:映画監督、ライター、マルチメディアプロデューサー

受賞歴:

2005年 モノ・マガジン乗物部門年間大賞企画賞W受賞

2008年、2009年、2010年 バットボーイ・アワード受賞

 

 

近兼拓史さんの出身高校や大学はどこ?

前述のプロフィールにあるように、近兼さんの出身高校や大学については、情報を探せませんでした。

引き続き、何かわかりましたらお知らせします。

かなり頭の良い方だとお見受けしたので、県立神戸高校とか灘高あたりかなと思っているのですが。

近兼拓史さんの嫁や子供について!

近兼さんは、アラカンですから、もう結婚はされていてお子さんも大きいのでは?などと想像していまましたが、

そんな情報はどこにも見当たらないっ!ない!

・・・ということで、こちらも記事を保留させてください。

SNSで子供が映った写真があるのですが、違うお子さんかもしれないので掲載をやめておきます。

まとめ

近兼さんが、災害を契機として防災のためにラジオの役割を察知し、ラジオ局を作ったことはスゴイと思いました。

そう考えていてもなかなか行動に移せるものではないんですよね。

行動し、いろいろなことに挑戦し続ける近兼さんは、きっと、いつも人をワクワクさせて楽しませることのできる人なのでしょう。

写真を見ると、表情も生き生きとしていて、若さを感じます。

ボンネビルの挑戦は、何でもまた今年もするとかしないとか・・・

当分近兼さんに、目が離せませんね。

最後までお読みくださりありがとうございました!