千玄室大宗匠は元特攻隊員で経歴プロフィールが凄い!妻はどんな人?

茶道をやっていなくても知っている、歴史上の人物千利休。

その千利休から15代目の裏千家の家元だったのが千玄室氏です。

今回は、「徹子の部屋」に出演されるということなので、それを機に千玄室氏に焦点をあててみましたヨ!

千玄室大宗匠は元特攻隊員で経歴プロフィールが凄い!

千玄室氏は、裏千家14代家元・碩叟宗室氏の長男として1923年に生まれます。

日本は1941年、真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入します。

千玄室氏は、同志社大学在学中に学徒出陣となり、海軍に召集されます。家元の息子だからといって、配慮も何もなかったようです。

そして、舞鶴から土浦の海軍航空隊に行き、そこで士官となるための訓練を2.5カ月間受け、その後、徳島に転属され、海軍少尉となります。

戦況はどんどん悪化。

1945年、いよいよ特攻隊に志願します。しかし、それは心からの志願でなく、志願しないと何をされるかわからない、という状況下での志願です。

特攻の訓練を行い、夜に明日飛び立つ者の名が呼ばれるのだそう。

千氏は、呼ばれることなく8月に終戦を迎えました。

飛ぶ前に終わってくれて、本当に良かったことですが、本人は、助かって良かったのだろうか、と思っていたそうで、復員した時も、すぐには家の門をくぐれなかったそうです。

同期は大半が亡くなり、生き残ったのは千玄室氏ともう一人、俳優の西村晃さんだったという話もあります。西村晃さんは、舞鶴時代からずっと一緒で、最後、特攻隊で名前を呼ばれて飛び立ったうちの一人で、千氏は、西村さんは亡くなったと思っていたのだそう。

しかし、西村さんは、途中で機体の調子が悪くなり不時着したため助かり、生きていたのです。西村さんの方こそ、千氏は亡くなったと思っていたとか。

まるで「永遠の0」みたいな話ですね。

終戦後、千氏は大学に復学します。

【千玄室氏のプロフィール】

 

氏名:千玄室大宗匠

本名:千 政興

生年月日:1923年4月19日

出身:京都

学歴:同志社大学法経学部経済学科卒

主な肩書:ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使、日本国際連合協会会長、日本オリンピック委員会名誉委員、日本会議代表委員、日本馬術連盟会長、京都サンガF.C.取締役

自身が学徒出陣をした経験、間一髪で特攻出動を免れた経験、多くの同期が亡くなったという経験から、平和を想う気持ちは強いものがあると思われます。

お茶の世界では、戦争で亡くなった方に捧げる献茶を行う行事が毎年、行われています。

千玄室氏は、お茶をもって平和を説く、お茶の心を世界をまわって伝えていくことが使命だと考えています。

それをこれまでも有言実行し、これまでに世界70カ国以上を訪問しています。

千玄室大宗匠の妻はどんな人?

千玄室氏は、江戸時代から続く近江の豪商の家柄の塚本登三子さんとお見合いの上、1955年1月に、結婚します。

登三子さんは、1930年生まれで、カトリック系の双葉高女を卒業後、アテネフランセを卒業。結婚を申し込まれた際の条件は、「フランス語の勉強を続けさせてほしい」ということだったそうです。

68歳の若さで逝去されましたが、千玄室さんが行くところ、登三子さんの姿があったそうです。

国際茶道文化協会会長を務めたり、国際ソロプチミストの日本財団理事長、日仏文化協会理事なども務め、1989年藍綬褒章を受章しました。

 

まとめ

裏千家15代目元家元の千玄室氏の経歴や亡くなった奥さんのことなどについて、書かせていただきました。

千玄室氏のように戦争を体験された方の声は、時々テレビなどで聞くことはありますが、だんだんと薄れて行っているような気がします。

戦争がどんなに悲惨なものか知ろうともしない人たちが、どんどん生まれているような気がします。

お茶を通して平和を説くという活動が、これからも引き継がれて広がることを期待します。