☆当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
TV「ごはんジャパン」に時々登場するフレンチのシェフの吉野建さん。この道40年以上のミシュランシェフで、銀座でフレンチレストランを経営されています。
今回は、コロナ自粛のテイクアウトにも飽きて、久しぶりに本物のフレンチが食べたくなったチヨコが、吉野建さんについて記事をまとめとみましたヨ!
吉野建シェフの経歴が凄い!
この投稿をInstagramで見る
うれしい~♫吉野シェフは、インスタにちゃんとご自分の写真を貼ってくれている~^^!フリーの芸能人もこうして欲しいなー。
ここまでの年齢と実績を積んだ人は、顔に自信と豊かな人間性が出ているって本当のことですね。
吉野建シェフは、今でこそフレンチの巨匠と呼ばれていますが、最初から料理人を目指していたわけではありません。
料理人になろうとするまでには、紆余曲折がありました。
鹿児島県喜界島でサトウキビ農家の長男として生まれ、県立喜界高校を卒業後、自衛隊に入ります。
実は吉野さん、小学校2年生の時に鉄棒で大ケガをして、神奈川県に良い医者がいるということで、神奈川県の新丸子のおばさんの家で医者に通いながら2年間過ごします。その時の都会の印象が忘れられず、とにかく島を出ようと思っていたそうです。
自衛隊では、鹿児島と北海道の2か所を経験します。ですがやはり、東京に行きたいという思いが強く、再び新丸子のおばさんを頼って上京します。
ところが、おばさんに紹介されて勤め始めた電気会社をすぐに辞めてしまい、おばさんに呆れられて家を出されることに。住み込みの新聞配達店でしばらく働いていた時に、新聞広告で「ウェイター募集」のチラシを見て、レストランでも働くことにしました。
これが料理の世界に入るきっかけとなるんですね。
吉野さんは、しばらくはウェイターをやっていましたが、それでは飽き足らず、料理の方もやるようになりました。元々モノを作ることについては好きだったということもあり、自分で何かを生み出す仕事をやってみたいと思うようになったそうです。
そうやって、いくつかのレストランを料理人として渡り歩きます。
そろそろ店を出したら、という話も出て、それでは本場フランスで店の雰囲気などを勉強しようと、1カ月だけということでフランスに旅立ちます。27歳頃です。
それが結局、4年半後に帰国することになろうとは。
フランスでは、次々に店を変えて修行し、最後に2カ月間、ジョエル・ロブション宛ての紹介状を持っていたため「ジャマン」で研修させてもらいました。
日本に帰国後、赤坂の「光亭」でシェフとして2年程働き、東京・青山の「ロア・ラ・ブッシュ」の総支配人から頼まれて経営の立て直しにも携わった後、小田原にランス料理店「ステラ・マリス」をオープンさせます。
連日満席の人気店となります。
しかしまた2年後、パリで店を開かないかという話が持ち上がり、「ステラ・マリス」を他の人に譲って自分は再びフランスへと飛び立ちます。
ところが、オーナー企業と銀行の間でトラブルが起こり、話が頓挫してしまいます。
結局、4年半ほど待たされて、この話はご破算に。
待たされ続けた吉野さんは、意地で自分で資金を集めてパリに「ステラ・マリス」をオープンさせます。
1997年のことでした。
やっとオープンしたものの、客足はさっぱり。
秋になって背水の陣でジビエを出します。これがダメだったら日本に帰ろう、そう思って。
するとこれが大当たり!三ツ星シェフも来店するほどの盛況ぶりだったのです。
2006年には、念願だったミシュランの星を獲得します。
吉野シェフは、パリのステラ・マリスで念願の星をとれても、2013年には、パリと日本の往復の生活に疲れたという理由で、パリの店を惜しまれつつ閉じます。
そして、今は、銀座の「タテノヨシノ」他、複数店舗のオーナーシェフとなっています。
【吉野建さんのプロフィール】
氏名:吉野建(よしの たてる)
生年月日:1952年8月10日
出身:鹿児島県喜界島
座右の銘:素直で笑顔
吉野建シェフの店の評判と予約方法は?
コロナの影響でレストランは苦境に立たされていますが、そろそろまた本物の味が食べたくなってきましたよね。
まず、吉野シェフのレストランの評判についてSNSから拾ってみました。
今シーズン最後のセイコガニに東京で出会いました! 銀座にある一つ星フレンチ『タテルヨシノ』さんで、セイコガニのグラタンが出てきました。 やっぱり美味しい! また来年…
今日は送別会。 子山羊の生ハムは全く臭みが無くコリコリの食感が楽しい。 スモークサーモンは味だけでなく見た目も楽しめる一品。 メインは今シーズン初鹿。 付け合わせのトランペット茸もポテトもレベルが高い。 充実したディナー。
おめかしタテルヨシノきめてきた…帰るとき吉野シェフ出てきてくれてびっくり
誕生日と結婚記念日だけは 食事でも行く?と、一応気を使ってくれるD(財布) 黙ってると近場のテキトーな店でごまかされるので、 タテルヨシノをさっさと予約w 目にも舌にも美味しいフレンチ、 歳とるのも悪くない
さすがのタテルヨシノ、大変美味しゅうございました。 どの人に聞いても、お料理の細かいことまで教えてくださる。 行き届いてる。ホスピタリティの高さを実感。 ごちそうさまでした。
広尾のラ・トルチュ タテルヨシノのシェフのお店とのことで。 ガスパチョとお肉が柔らかくて美味しかったです
タテルヨシノでのバースデーディナー終了して帰宅! どれもこれも最高に美味しかったですが、金色の飴玉にフォワグラが入っているフォワグラのシュプリーズが!最高に美しかったです!幸せ
あとサーヴィスさんがウィットに富んでいて楽しかった
【昼】 11:30~14:00(L.O)
【夜】 18:00~21:00(L.O)
日曜営業
定休日 なし ※年始休業有
吉野建シェフの嫁や息子について!
さて、吉野シェフは、初めてフランスに行った時は、すでに結婚していました。1カ月で帰るつもりが、結局は4年半も滞在していたわけですが、その間、新婚だったはずの嫁さんはどうしていだのでしょうか。
気になりますよね。
吉野シェフと奥さんとなる美智子さんとの出会いは、1996年のことでした。グルメの美智子さんは、当時、東京の一流レストランで働く健さんの料理に感動し、健さんに積極的にアプローチしたのだそうです。
そして結婚。
美智子さんの方が6つ年上です。
健さんの腕を信じ、惚れこんでいた美智子さんですから、最初の修行の時に後から付いて行ってもおかしくはないですよね。そうしたエピソードがあったかどうかはわかりません。あくまで私の想像です。
そんな吉野美智子さんは、残念ながら2007年に若くして心不全のために他界されています。
なお、吉野建さんを検索すると「息子」と出てきます。息子さんがいらっしゃるのかな、と思い、あちこち探してみましたが、具体的なことは出てきませんでした。申し訳ありませんが、ここについては、情報がわかり次第、記事を更新したいと思います。
まとめ
フレンチのミシュランシェフの吉野建さんについて、経歴やお店のこと、奥さんのことなどを書かせていただきました。
レスタランのインスタ写真等を見ていると、どれも見た目も芸術的で素晴らしくて、どんな味がするのだろう、と想像をふくらましてしまいます。
想像だけでなく、是非、食べに行きたいものですよね。
では吉野シェフの今後ますますのご活躍を祈念しながら、今日はここまで。
最後までお読みくださりありがとうございました!