残間里江子の経歴や病気歴が凄い!夫や息子・父親など家族関係は?

山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」をプロデュースしたことで一躍有名になった残間里江子さん。

現在、様々な公的な役職に付きながら、文化イベントなどのプロデュースをされたり、ラジオのコメンテーターをされたりと活躍継続中です。

でも、身体はそれほど健康ではないのだとか。

今回は、残間里江子さんの健康のことや経歴などに焦点をあててみましたヨ!

残間里江子さんの経歴!

残間里江子さんは、国鉄の労働組合元青年部長の父と元婦人部長の母との間に仙台で生まれます。

国鉄がJRになり、両親は失業し、新たな職のために中学からは静岡に引っ越します。

生活は苦しく、経済的理由で4年生大学には行けず、短大に進学します。

残間さんは、短大在学中にアナウンサーになるための養成所にバイトをして通い、見事、静岡放送に就職します。

【残間里江子さんのプロフィール】

 

氏名:残間理江子(ざんま りえこ)

生年月日:1950年3月21日

出身:仙台市

学歴:明治大学短期大学法律科卒

趣味:

肩書:キャンディッド・プロデュース代表取締役社長、club willbe代表、藤田観光社外取締役

 

静岡放送では、主にラジオを担当しました。

せっかく難関を突破して入社した静岡放送でしたが、残間さんは2年ほどで退職してしまいます。

大きな理由はなさそうなので、「次のステージに行きたかった」、ということなのでしょうか。

 

なお、残間さんは、静岡放送局のアナウンサー時代の失敗例を「岡野あつこと東海林のり子の『新大人の時間』」でお話しています。

内容をかいつまんでご紹介すると、

〈ヤラカシ例その1〉

12月25日、普段は使われていないスタジオで、三島由紀夫事件を生放送で伝えている男性アナウンサーの後ろに近づき、「だ~れだ!?」とやってしまった。

原稿読みの練習をしているのだと思ってしまったのだとか。

ラジオで「だ~れだ!?」と放送されてしまい、局のえらい人たちが来て、大変怒られたそう。

〈ヤラカシ例その2〉

テレビの料理番組で余ったサンマをスタジオの片隅で焼いていたら、火災探知機の下だったため、消防車騒ぎになった。

〈ヤラカシ例その3〉

古賀政男特集の時にレコードが途中で止まってしまい、手で回し始めたところ、すべて「フニャニャニャニャニャ・・」という音になってしまい、この時も上に凄く怒られた。

チヨコ・デリ

楽しい新人時代でしたね(笑。でも、新人のうちに辞めてしまうんです。ちょっともったいないと思いますよね。

残間さんは、静岡放送を2年ほどでやめた後、放送業界以外の所で働こうと思って就職活動の一環で、雑誌記者などがよく集まる、新宿のゴールデン街で飲んでいたんだそうです。ある晩、カウンターで「誰か女の子で手伝ってくれる人いないかな。」と言った男の人がいたため、すかさず自己紹介したその相手が、芸能記者の前田忠明さんだったということです。

前田さんは「女性自身」の先輩記者で、残間さんをそこに紹介し、ステテコをはいて耳に赤鉛筆をさした編集長と簡単な面接の後、めでたく記者になります。

そして記者として通常の女性の給料の5倍くらい高くお給料をもらって働いていましたが、そこも5年ほどで退社。

山口百恵さんの自叙伝発行の経緯

残間さんは、谷村新司さんの推薦でシャンソン歌手の金子由香利さんの歌を毎週のように聞きに行っているうちに金子由香利さん本人と話をするようになります。

そして、金子さんが銀パリでなく劇場で公演をしたいという願いがあることを知り、劇場と掛け合ってそれを実現させ、しかも会場を満杯にしたのです。

その実現の方法が、当日人気絶頂だった山口百恵さんと劇団四季の浅利慶太さんとの対談で百恵さんが「私が今一番尊敬する歌手は金子由香利さんです。」と書いてある記事を見て、ホリプロに連絡。

約2カ月後に、百恵さんと会う時間が5分だけ与えられたそうです。その間に趣旨を話し、金子由香利さんへの直筆のコメントをもらえたのです。

金子由香利さんの公演は大盛況でした。

百恵さんも涙を流しながら金子さんの歌を聴いていたとか。

残間さんは、山口百恵さんとも知り合い、後に「蒼い時」のプロデュースもまかせられることになります。

残間さんが出版社を辞め、小さな会社を立ち上げた時に、百恵さんから手紙があり、「自分が引退する時に出版をしないかというお誘いが40社ほど来ており、自分は何も書かなくてよいということです。が、私は自分で作りたい。この7年半のことをいつか自分の子どもが生まれた時に、見せてやりたい。残間さん、一緒に手伝ってもらえませんか。」とオファーがあったのです。

いや~、そういうことだったのですね。

その当時、チヨコもいろいろな記事を見ていましたが、そこまでは知りませんでした。

そうした情報が、こちらのチャンネルで発信されています。↓ ↓

「岡野あつこと東海林のり子の『新大人の時間』」>>https://www.youtube.com/@azcotv2290

残間里江子さんの病気歴が凄い!

残間さんは、生まれた時から、健康面では大変な不安を抱えてこられたそうです。

出産時にはおそらく難産だったのでしょうか、鉗子分娩で頭部に傷がついたため、後遺症で左目は光を感じることはできても色や物の判別ができない状態となったそうです。

鉗子分娩がすべてそうなるわけではありませんので、そういうリスクもあるのか、と。

また、生後直後に、小児性関節リウマチ炎や、心臓弁膜症となったそうで、学童時代に年間100日も入院することもあったということです。

年をとってからは、目にレンズを入れたり、老人性脂漏性角化症(イボ)、膀胱炎なども患い、傷めた膝半月板の切除手術なども行っており、10以上の病院通いを現在やられているそうです。

いやはや、大変です。

残間里江子さんの夫や息子・父親など家族関係は?

父母について

残間さんのお父様とお母様は元国鉄に勤めていました。

JRとなった際に失職し、新たな仕事の関係で仙台から静岡に一家で転居します。

お母様は小説家志望であり、70代でシナリオ教室に通い、99歳で亡くなるまで、執筆活動をされていたとか。

夫や息子について

残間さんは、20代後半の雑誌記者時代に短大時代に部活で知り合った男性と結婚します。

ほどなくして、相手に女性ができたことで、残間さんは別れを告げます。

しかし、夫は離婚には同意せず、離婚が成立するまでに長い期間が必要だったそうです。で、その間に今度は残間さんに恋人ができます。

その恋人とは夫と離婚が成立した後も再婚することなく、別れてしまいます。

残間さんは子どもを産むのには難しい健康状態だったそうなのですが、39歳でその男性との子を産み、それが息子さんです。

息子さんはメディアの仕事をされており、残間さんの家の近くに住んでいるそうなのですが、二人ともつかず離れずの生活のようです。

まとめ

プロデューサー業の残間里江子さんの経歴や病気歴、両親や夫、息子のことなどについて書かせていただきました。

残間さんはラジオで聴く限り、サバサバした気持ちのいい人だという印象があります。プラス、面白いお方!

チヨコも生島さんとのやり取りが、結構好きです。

これからも健康に気をつけて、ますます活躍されますよう応援したいと思います!