島田 洋七の 佐賀の自宅が凄い!現在の仕事は?年収や講演料はいくら?

B&Bの島田洋七さん。

TVであまり見なくなりましたが、現在はどのようにされているのでしょうか。

講演で全国を渡り歩いているということですが、今回は島田洋七さんの現在の状況、自宅のこと、講演会の料金のこと等について焦点をあててみましたヨ!

島田 洋七の現在の仕事は?

島田洋七さんの現在の主な仕事は、著作本「佐賀のがばいばあちゃん」の関係で、全国を講演して回ることです。

その他に、ラジオ番組「島田洋七の朝から言わせろ!」にパーソナリティとして出演しています。

がばいばあちゃんシリーズで、これまで著作本が1,000万部以上売れ、4,800回もの講演をされているということです。

近年では、平均して年100回くらい講演している計算になります。

2020年のインタビューでは、「あと2~3年講演をして、そのあとは好きなことをやっていきたい。」旨を話されています。

【島田洋七さんのプロフィール】

 

氏名:島田洋七(しまだ ようしち)

本名:徳永昭広

生年月日:1950年2月10日

出身:広島市中区白島九軒町

血液型:O型

身長:164cm

学歴:佐賀市立城南中学卒、広陵高校卒、広島工業大学

趣味:

事務所:島田オフィス

島田洋七さんのお父様は原爆の後、家族を探し回ったことで被爆し、洋七さんが2歳の頃、亡くなります。その後、6歳の時に、母親と別れて佐賀のおばあちゃんのところに8年間預けられ、著作本の’佐賀のがばいばあちゃん’はその期間のことを本にしたものです。

その後、洋七さんは野球ができたので野球推薦で広島の高校に進学し、大学進学も野球推薦で大阪に行っています。

19歳で一旦佐賀に戻り、当時デパートに勤めていた今の奥さんと知り合い、東京へ駆け落ち。そこでお金が尽きて大阪に再び戻り、そこで笑福亭仁鶴さんらの漫才を見て「芸人になろう」と決意。

1972年、桂三枝さんが相方を紹介し、初代B&Bが結成されます。

その後相方が変わり、島田洋八さんが相方となった時に、B&Bは東京に進出します。

その後の活躍は、すさまじいものがありました。

今の漫才ブームの火付け役は、B&Bかビートたけしか、と言われるくらい。

 

けれども、やがて人気だったTV番組も終了し、人気が下降をたどります。そしてついに、1983年秋にB&Bをは解散するのです。

島田洋七さんは、精神的な理由で6年間の休養生活に入ります。

これまでも島田洋七さんは、七転び八起きの奮闘ぶりでしたが、ここで長い間転んだ状態が続きます。でも、やっぱり起き上がるんですよね。

その後、新しくコンビを組んだり、親友のビートたけしのたけし軍団においてコック長みたいなことを7年間もやったりします。

そして、たけしの勧めで、自分の体験談の「佐賀のがばいばあちゃん」執筆の原作となった「振り向けば哀しくもなく」を自費出版で出版します。自費出版としては多い3,000部を売ります。

さらにそこから14年後、タイトルを「佐賀のがばいばあちゃん」として自費出版したところ、徳間書店から商業出版の話があり、全国販売。累計1,000万部以上のベストセラーになります。

しかもそれだけで終わらず、そこから講演という仕事へと続きます。

島田 洋七の年収や講演料はいくら?

では、島田洋七さんの1回の講演料は、いくら位なのでしょうか。

具体的な講演料については、公表されてるいるわけではありません。

しかし、コーエンプラスという’オフィス愛’が運営している講師紹介所のホームベージによると、目安の講演料として、税抜き・交通費抜きで71~100万円、と提示されています。

年間100回、講演するとなると71万円で計算しても7,100万円となります。100万円で計算すると、1億円となります。

売れている頃は、年収8億円という時期もあり、それに比べると格段に少ないですが、70代でこれだけあれば、成功しているといってよいのではないでしょうか。

島田 洋七の 佐賀の自宅が凄い!

>>洋七さんのりっぱな家の画像はこちらです

1999年、洋七さんは、奥さんのお母様が倒れたことをきっかけとして、佐賀市東与賀町に居を構えることを決めます。そのことは、奥さんには相談しなかったのだとか。

300坪の土地に平屋の日本家屋を建築し、2001年に移住します。

全国を周る洋七さんなので、交通の便が良いところにしたのだそう。

佐賀空港には、車で15~20分で、高速道路や新幹線への乗り換えもできるそう。

そんな洋七さんの家には、観光バスが案内のため停車するそうです。

まとめ

B&Bの島田洋七さんの佐賀の自宅のことや、現在の仕事、年収、講演料などについて書かせていただきました。

B&Bは、一度解散しましたが、再結成しており、活動自体は活発とは言えませんが、現在もコンビは続いています。

最後に、「佐賀のがばいばあちゃん」の言葉をSNSから。