市川猿弥の経歴プロフィール!出身高校や大学はどこ?代役ぶりが凄い!

市川猿弥さんは、市川猿之介さんの事件で大変なことになっている澤瀉屋の歌舞伎役者さんです。

2023年7月からの日曜劇場「VIVANT」にも出演されるなど、歌舞伎ファン以外からも注目度が高まっています。

今回は、歌舞伎界で随一のムードメーカーだと評判の市川猿弥さんに焦点をあててみましたヨ!

市川猿弥さんの経歴プロフィール!

市川猿弥さんは、代々の歌舞伎の家系ではなく、実家は製本屋さんで一般家庭から歌舞伎界に入られたお方です。

3歳から児童劇団に所属し、歌舞伎の子役として活躍していたところ、1978年、三代目市川猿之助(現・猿翁)に認められ、部屋子になりました。

初舞台は、1975年1月。「菅原伝授手習鑑 寺子屋」での寺子四郎蔵役でした。

【市川猿弥さんのプロフィール】

 

氏名:市川猿弥(いちかわえんや)

本名:久住良浩(くずみよしひろ)

生年月日:1967年8月15日

出身:東京都

血液型:B型

体重:87kg

学歴:日本大学芸術学部演劇学科卒

好きな食べ物:お米

屋号:澤瀉屋

受賞歴:2000年松尾芸能賞新人賞

人柄も「歌舞伎界のムードメーカー」と言われるそうで、ファンの方もこんなコメントしています。

市川猿弥さんの出身高校や大学はどこ?

市川猿弥さんの出身高校は、公表されていませんでした。

大学については、日大藝術学部を卒業されています。

【日本大学藝術学部演劇学科】

 

偏差値:52.5

住所:東京都練馬区旭丘2-42-1

出身有名人:テツandトモ、伊藤蘭、高橋英樹

市川猿弥さんの代役ぶりが凄い!

市川染五郎さんがコロナに感染したため、急遽代役を務めた猿弥さん。

わずか一日で梵太郎役をマスターし、舞台に立ちました。

その時の読売オンラインニュースの見出しがコレです↓ ↓

「世紀の美少年の代役は「ぽっちゃり55歳」…目を疑う歌舞伎座の奇策が成功した理由」

このタイトルに引き付けられた人、多いと思います^^。

言いにくいけど、まさしく人の気持ちを代弁したタイトルですね。

市川染五郎さんといえば、今の歌舞伎界で美青年(イケメン)で大人気。その代役をポッチャリした体重オーバー気味の55歳の猿弥さんがやる、というのですから、「目を疑う」「どうしちゃったの歌舞伎界」「正気か?」と。似ても似つかないし・・・。

しかし、その発想が受けたんですね。

受けようとしたのではなく、その役を急遽代わってやれるのは「猿弥さんしかいない」、ということなのだと思います。

登場場面で、金髪に白塗りの顔で、おちょぼ口のすまし顔の猿弥さんが立っています。決して美男には見えないけど、役は超美男の役。顔はそうじゃないけれど、完全に自分は美男だと思っている佇まい。

そのギャップに観客は大喜び。

そこに立っているだけで笑いが起こります。

お顔を白塗りにするアイデアは、猿之助さんだったそうです。

さすがに心得ています。

また、その前には、尾上松也さんがコロナに感染し、猿弥さんが代役を務めました。

猿弥さんが、「困った時の猿弥」「歌舞伎界の便利屋」と言われる所以です。

しかし、ご本人はえらぶることなく、どこか飄々としています。

染五郎さんの代役をやった舞台には、元々猿弥さん自身も出演していたのに、代役になる時まで、最後までその舞台を観たことがなかったそうです。いつも前半で出番が終わるので、舞台が終わらないうちに、さっさと帰っていたんだとか。

理由は「駐車料金がもったいないから。」

・・・歌舞伎座まで車で通っているんですね。用が終われば帰るなんて、歌舞伎界って意外にサッパリしているんですね。

まとめ

ここでは、歌舞伎の市川猿弥さんについて、経歴や学歴、代役のことなどについて書かせていただきました。

猿弥さんは、結婚しており、みゆきさんという美しい奥さんがいらっしゃいます。家は、ビルの上と下で両親と同じビルに住んでいるということです。

猿弥さんが結婚を考えている時、普段は地方公演に来ないお母様が名古屋公演に来た際に、結婚を打ち明け、それから話が進んだようです。

児童劇団から歌舞伎の子役になってから長い間、送り迎えや実家の仕事、家事もして、実家のお母様には世話になったとインタビューの中で仰っています。

これからも猿弥さんが、両親や奥様を大切に、そして、歌舞伎界のため、気になる澤瀉屋のためにますます活躍されることを期待したいですね!