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笠智シヅ子さんは、戦後、「東京ブギウギ」で一世風靡した歌手であり女優です。
2023年度後記のNHK朝ドラで、笠智シヅコさんをモデルにしたドラマが始まるとのことで、今回は笠智シヅ子さんに焦点をあててみましたヨ!
笠智シヅ子の経歴が凄い!
昭和な広告。
強力殺虫剤アース。(昭和20年代後半?)現在のアース製薬の前身、木村製薬所時代の広告。当時の人気者・笠置シヅ子さんも楽しそう(笑)。ちなみに
アースは一旦倒産した後、大塚グループの資本下となり、再生しました。 pic.twitter.com/eH2dACtz0B— オダブツのジョー (@odanii0414) July 21, 2016
笠智シヅ子さんは、昔のポスターや昔の映像の中でしかお目にかかれません。
でも、「東京ブギウギ」や「銀座カンカン娘」の歌は、どこかで聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
かなり調子のよいブギですよネ♪♪~
笠智シヅ子さんは、戦中も戦後もスターであり続けた歌手であり女優でした。
【笠智シヅ子さんのプロフィール】
氏名:亀井静子
生年月日:1914年8月25日~1985年3月30日
出身:香川県東かがわ市
血液型:
身長:
学歴:小学校卒、松竹楽劇部生徒養成所
芸名:三笠静子⇒笠智シズ子⇒笠智シヅコ
笠智シヅ子さんの少女時代
シヅ子さんの両親は、父親が生後まもなく死亡し、乳児の頃に母親が貰い乳をしていた女性の養女となります。
昔は、今のように粉ミルクなどなかった時代ですから、お乳の出が良くないお母さんたちは、よくお乳の出る女性にお乳を飲ませてもらったそうです。
人と人とのつながりのある時代だったのですね。
そうやって大きくなったシヅ子さんは、小学校を出ると宝塚を受験します。ですが、スタイルが華奢だったため残念ながら不合格。
ですが、松竹楽劇部生徒養成所(※現在はない)を受験し、今度は合格。1927年のことでした。
三笠静子時代
『日本八景おどり』でデビュー後、1933年、『秋のおどり・女鳴神』でスターダムに。
1934年:「恋のステップ」でコロンビアからレコードデビュー
笠置シズ子時代
1935年:三笠宮家創立を機に「笠智シズ子」に改名
1938年:「松竹樂劇団」(SGD)に参加。後、劇団は解散。
1941年:「笠置シズ子とその楽団」を結成し、慰問活動を開始
1945年:戦後、再開場した日本劇場に出演
1947年:「東京ブギウギ」が大ヒット
同年:女児出産
1949年:映画「銀座カンカン娘」に出演
この間、戦前戦後の激動の時代でした。
笠智シズ子さんは、3センチもあるつけ睫毛を付けて、派手な化粧と身振りで歌うスタイルだったため、警察に目をつけられたり、丸の内の劇場への出演を禁じられたりするなど、スターでありながら、波乱の時代だったかと思われます。
笠智シヅ子時代
1957年:歌手廃業、女優宣言
1967年:TBS「家族そろって歌合戦」の審査員
1971年:カネヨ石鹸の台所用クレンザー「カネヨン」CMに出演
1985年:薬石効なく逝去
笠智シヅ子の結婚相手は吉本興業創業者の息子?
1947年6月1日、笠智シヅ子さんは、女児を出産します。名はエイ子さん。
ですが、結婚したわけではありません。相手は8歳年下の吉本興行創業者の息子の吉本穎右(よしもと えいすけ)さん。
結婚を反対され、シヅ子さんは身ごもったまま、病弱だった穎右さんは亡くなってしまいます。
ですから、出産後は幼子をかかえたまま、舞台に出演を続け、そういうシヅ子さんの姿に共感した当時のシングルマザーたちが共感してファンになっていったそうです。
また、シヅ子さんは、再婚せず、生涯独身を貫きました。娘のエイ子さんによると、穎右さんにもらった名刺を生涯肌身離さず持っていたとのこと。
笠智シヅ子の娘の現在は?
笠智シヅ子さんの娘の亀井エイ子さんは、1947年生まれですので、もう70歳代です。
ネットで情報を探しましたが、一般のお方ですので、現在どのようにされているのか、情報はありませんでした。
まとめ
2023年度後記のNHK朝ドラで、笠智シヅコさんをモデルにしたドラマが始まるとのことで、今回は笠智シヅ子さんの経歴や結婚のことなどについて書かせていただきました。
いやー、もうドラマの要素がたくさんありますよね。
戦時中の軍の慰問活動(いわゆる当時のボランティア活動)やシングルマザーとして生涯貫いたところや、当局の厳しい監視にもめげず、人々を明るく勇気づける歌を歌い続けたことなど、チヨコも早くこのドラマを見たいと思いました。
あくまでモデルが笠智シヅ子さんということで、シヅ子さんのことをそのままドラマにするわけではありませんが。
キャストはいつも通りオーディションで決めるということですが、また楽しみにしてまいりましょう。