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コロナの影響で、全国各地の花火大会が中止になっていますね。
人が密集するのがダメだということなので、
これから先、花火大会はどのように行われるのか気がかりです。
今回は、花火界の老舗、野村工業の4代目、花火師の野村陽一さんに焦点をあててみましたヨ!
野村陽一さん(花火師)のwikiプロフ!
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2020年6月1日、日本全国でコロナの終焉を祈り、花火が打ち上げられました。
密を避けるために打ち上げ場所は非公開。
でも、SNSで拡散され、見る人に勇気と希望を与えてくれました。
このプロジェクトを支えた一人が野村陽一さんでした。
では、野村陽一さんは、どのような人なのでしょうか。
【野村陽一さんのプロフィール】
氏名:野村陽一(のむら よういち)
生年月日:昭和25年11月8日
出身:茨城県
学歴:明治大学卒
肩書:野村花火工業代表取締役(4代目)(平成元年)
受賞:
平成25年「現代の名工」に選出
平成26年「黄綬褒章」を受賞
野村陽一さんは、何と、大学を出てから家業を継ごうと花火師の修行を始めたそうです。
チヨコ・デリ
野村工業は、業界では有名で、隅田川花火大会における全国花火コンクールの部では2年連続で優勝し、他の全国大会でも何度も優勝しています。
大曲全国花火競技大会で7回(内閣総理大臣賞)
土浦全国花火競技大会では11回(内閣総理大臣賞)
野村さんの花火の特徴は、何といっても、
色の鮮やかさと形の美しさです。
けれども、野村さんは、最初からそのような美しい花火を作れたわけでなく、
何せ大学出てから修行を始めたスロースターターなわけですから、
他の職人と歴然とした技術の差があり、20年間は鳴かず飛ばずだったそうです。
花火が丸く円になるまで10年かかり、
それこそ最初の頃は、色も形も悪く、
「闇夜のカラス」とまで言われていたとか。
そして・・・・花火師の修行を始めて19年目に大会で優勝。
それまでのつらく長かった時間は、一瞬にして消えたそうです。
【野村花火工業株式会社】
所在地:本社 茨城県水戸市新原1-3-37
工場 茨城県水戸市谷津町736
創業:明治8年(1875年)
資本金:1,000万円
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準備を入れて1年かけて作る花火玉。わずか5秒で終わる潔さ。
花火は、その潔さも人の心をつかむんですよね。
野村陽一さんの出身高校や大学はどこ?
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野村さんの出身大学は前述のとおり、明治大学です。
出身高校については、公表されておらずわかりませんでした。
が、明治大学に進学できる高校としては、まず県立水戸第一高校があげられます。そうでなくとも、野村さんは、進学校出身だと思われます。
野村陽一さんの名言!
野村さんは、このような発言をされています。
こだわってこだわってこだわり続けて、なお、結果が出るまで。
技術という、原石みたいなものだと思うのですけども、
それを磨き続ける人。
一度、安易な道を選んだ者は、二度と高みを目指せない
技術も大切だが、素直な心がないと見えてこない。
自分が職人として花火作りに向き合ってきたからこそ出てくる言葉ですね。
特に私は「一度、安易な道を選んだ者は、・・・」に、ドスンときました。
道を選ぶなら困難な方の道を選べ、という格言がありますが、
気が付けば私も日々容易な方に向かおうとしているので、自分を諫めなくては、と思いましたね。
まとめ
花火師として有名な野村陽一さんについて、プロフィールや学歴、名言などについて書かせていただきました。
花火業界もコロナ禍にいる私たちを応援してくれますが、
逆に私たちも花火業界に応援返しをしなければなりません。
夜空高く花火が舞上がり、大きな歓声が響く日が、いつかまた来ることを願います。
最後までお読みくださりありがとうございました!