吉原光夫の実力と代表作が凄い!劇団四季退団の理由は?家族について!

NHK朝ドラ「エール」の最終回で「イ~ヨマンテーーーーー~~~!!!!」と熱唱されて世間を驚かせた馬具職人・岩城新平役の吉原光夫さん。

それまでドラマ内で歌声が披露されていなかったので、最後に全部持って行かれた感がありましたよね。

チヨコ・デリ

チヨコも唖然として、コーヒー持ったまま動けなくなったワ。

今回は、ミュージカル俳優の吉原光夫さんに焦点をあててみましたヨ!

吉原光夫の実力と代表作が凄い!

 

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「イヨマンテの夜」のあの歌声を思い出すと、興奮が蘇ってきます。しびれる~という感覚。

それもそのはず、吉原光夫さんは、劇団四季の浅利慶太さんの下で訓練された知る人ぞ知るミュージカル俳優で、国立劇場でも主役をはるミュージカル界のスターと言うべき人なのです。

ただ、本人は、売れたいと思っていないとのことで、名を知られるようになるためのアクションには熱心でなく、エールを見るまで吉原さんのことを知らない人も多かったかと思われます。

実力を育んだ経歴

吉原さんは、声は、元々大きかったようです。

というのも、ずっと小学生時代からバスケットボールをやっていて高校にはバスケ推薦で入ったのですが、大学にスポーツ推薦で進学できず、親に「専門学校までは面倒を見てやる。」と言われ、どこかを選ばなければならなくなった時、

「自分は声が大きいから、舞台とか映画だったらラクかな。」

と思って演劇の専門学校に進んだ、とインタビューで答えています。

人前に出るのは好きだったそうで、高校時代はラップバンドでラッパーもやっていたそう。

そのような軽い気持ちで、高校卒業後、日本工学院八王子専門学校演劇俳優科に進みますが、ある時、転機が訪れます。

元劇団四季の先生の授業で、ミュージカル映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』を見た時、

冒頭で、ユダが岩の上で歌うシーンに衝撃を受けるのです。

「自分もあれをやりたい。」

それまで、なんとなくラクそうということで、さしたる情熱もなく演技の勉強をしていた吉原さんでしたが、1999年、劇団四季のオーディションを受けて入所することになります。

劇団四季では、創設者の一人、演出家の浅利慶太氏の指導を受けます。

とにかく必死に食らいついていたそう。そして、氏の指導を受けたことは、自身の血となり肉となっているとのこと。

【吉原光夫さんのプロフィール】

 

氏名:吉原光夫(よしはら みつお)

生年月日:1978年9月22日

出身:東京都

身長:186cm

体重:?

配偶者:和音美桜

事務所:COME TRUE

1999年:劇団四季研究所入所

2007年:劇団四季退団

2009年:Artist Company 響人(ひびきびと)創設

 

ここで、吉原光夫さんの評判をSNSから抜粋してみました。

吉原光夫さんの評判

てか、ミュージカルやってたんですね! 知らなかったぁ〜

 

光夫オルレアンの歌に娘は釘付け。 いい耳してるわ笑

 

望海風斗さんの歌唱力の圧倒さって吉原光夫さんみたいな感じない?会場の空気が変わるあの感じ

 

嘘だろ?!自分が演出するライブすら頑なに歌わず自分の推しの海宝直人氏に頼まれてやっとちょろっと歌う吉原光夫氏が「歌う」だと?!?!

 

エールコンサートでの ♫イヨマンテの夜♫ は圧巻でした

今度NHKのプレミアトークに出演されるので、様々な喜び方をしているのがわかります。

代表作

劇団四季時代には、

入所した原因となった「ジーザス・クライスト・スーパースター」のユダ役をやられます。

有名な「ライオンキング」のシンバ役。

「美女と野獣」のガストン役。

「夢から醒めた夢」では暴走族役。

気づきませんでしたが、チヨコも観劇していました。劇団四季の上演では、配役は誰でも特に気にしていませんでしたから、改めて自分の過去の記録を見て知りました。

また、これらの他に

「ユタと不思議な仲間たち」、「青い鳥」、「はだかの王様」、「ジョン万次郎の夢」などでメインキャストを演じています。

劇団四季退団後は、

2011年~ 帝国劇場などでの「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン役がオハコです。

映画では、

「美女と野獣」などで声の出演がありましたが、2021年上映予定の「燃えよ剣」では岡田准一さんと共演しています。

TVでは

2020年のNHK連続テレビ小説「エール」が初となっています。

これからもTVでの出演が増えることが期待されますネ。

吉原光夫の劇団四季退団の理由は?

劇団四季では主役を演じるスター俳優でしたが、ある時、吉原光夫さんは退団を決意します。

そのきっかけは、『ジョン万次郎の夢』公演で訪れた沖縄・小浜島で出会った子どもに、自分の夢を語れなかったからだそうです。

舞台のことばかり考えて、自分の夢が何かわからなくなっていることに気づき、退団したとのこと。

このエピソードから、吉原光夫さんは、演劇にただひたむきで、自分の心に正直に生きる人なのかなと思いました。

また、吉原さん曰く、観劇している人たちは、自分の鏡として舞台を見ているのではないかと思っているのだそうです。

舞台をどう受け取るかは、実は、そこに自分の姿を投影し自分を評価しているのではないかと。

それはわかるワ。自分のその時置かれた状況によって物の見方は変わるから。作品や俳優の評価も変わってくるわね。

その後、吉原さんは、英国に短期留学などして、2009年に元劇団四季の仲間とともに、いわゆる小劇団の「Artist Company 響人」(ひびきびと)を創設します。

友人から「大劇場に出ないのか」と言われたことに反発して、レ・ミゼラブルのオーディションを受けて合格し、2011年、帝国劇場開場100周年記念公園において、32歳という日本公演の始まって以来の最年少でジャン・バルジャンを演じました。

吉原光夫の家族について!

吉原さんは、2017年3月に元宝塚の和音美桜さんと結婚し、2019年7月に第一子の女の子が誕生しています。

2021年2月現在、家族は3人のようです。

インタビューで、帰宅すると犬が鼻を出し、ドアを開けると子どもが鳴いていて、死にたくなるくらい幸せを感じると言っていました。

その日常がどんなに幸せなことなのかがわかるってことは、自分自身の心が豊かだからよ。

奥さんとは、「レ・ミゼラブル」で共演したことがきっかけだったようです。

和音さんも宝塚では歌姫と呼ばれるくらい歌が上手だったそうですね。

両親ともに歌が上手ですから、きっとお子さんも歌が上手になるに違いないですネ。

まとめ

ミュージカル俳優の吉原光夫さんについて、俳優としての実力や代表作、劇団四季退団の理由、家族のことなどについて書かせていただきました。

吉原さんの活躍を調べているうちに、2021年に上映予定の岡田准一さんと共演した「燃えよ剣」も見てみたくなりました。

皆さんも是非行ってみてください^0^!~

今後も吉原さんがますます活躍をされることを期待します。

では、最後までお読みくださりありがとうございました!