デヴィ夫人の生い立ちが凄い!スカルノとの出会いのきっかけや亡命の理由は?

その美しさから’東洋の真珠’とヨーロッパ社交界で言われたデヴィ夫人。

インドネシアのスカルト元大統領の第3夫人だったデヴィ夫人は、どのような生い立ちで、どのような経緯で大統領と結婚したのでしょうか。

今回は、デヴィ夫人の経歴について焦点をあててみましたヨ!

デヴィ夫人の生い立ちが凄い!

↑ ↑ 何とも力強い言葉を発する夫人がけっこう好きです。

 

デヴィ夫人は現在は日本に住んでいますが、国籍はインドネシアです。

19歳頃に大統領と出会い、結婚は22歳だったそうです。その間、愛人という立場でした。

当時、日本では、大統領の愛人になったデヴィ夫人を快く思っていない人が多く、週刊誌の批判のエサとなっており、そうした昔の記事をチヨコは叔母の部屋で見たことがあります。

その後、テレビのインタビューでもデヴィ夫人を見たことがありますが、インタビュアーがちょっと夫人に距離を置くような質問をしていたので、「こんなにキレイな人なのに、ひどい扱いをするな。」と子供心に思ったものでした。

【デヴィ夫人のプロフィール】

 

氏名:デヴィ夫人

本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ、根本七保子(ねもと なおこ)

生年月日:1940年2月6日

出身:港区西麻布

血液型:A型

身長:159cm?

学歴:東京都立三田高等学校定時制中退

趣味:

事務所:

デヴィ夫人の身長は、ネットで調べると159cmと出ますが、写真などを見ると、もっと小柄ではないかとチヨコはみています。

なぜならば、いつも15cmくらいのハイヒールを履いているということであり、となると、159cmあると174cmくらいになります。他の人と写真を撮ると、女性としてはむしろ背が高くなるはずなのに、そうとは言えないのではないかと。

159cmあれば、昔の日本女性でしたら「背が高い」ということになります。

ご本人は以前、「もう少し身長があったら」と仰っていましたし、日本人の女性の平均が158cmと言われていますから、それ以上だとしたら、そのようなことは言わないのではないかと思いました。

 

さて、デヴィ夫人は、1940年に、大工の棟梁の父兵七郎と母政子との間に生まれます。

父は再婚だったということで、デヴィ夫人には弟が一人います。

父親の最初の結婚では、兄弟姉妹が大勢いた上で、デヴィ夫人の母親と再婚したようです。

生活は苦しく、高校は定時制高校。昼間は千代田生命で働き、バイトも掛け持ちしたそうです。

デヴィ夫人が16歳の頃に、父親が亡くなり、家計をデヴィ夫人が担うようになります。

そのため、高校を中退し、より割のいい働き口として、赤坂の「コパカバーナ」でホステスとして働きます。

やがてインドネシアの建国の父と言われるスカルノ初代大統領に見初められてインドネシアに渡りますが、当時の週刊誌などでは、デヴィ夫人のことを娼婦のような書き立て方をしていました。

マスコミで連日たたかれたり中傷が凄かったため、母親は心労でなくなり、やがて弟の八曾男さんも友人?に騙されて借金を作ってしまい、自死してしまうのです。

デヴィ夫人は、遠くインドネシアの地で、悲しみに暮れるとともに、頼る人はスカルノ大統領しかいなくなってしまうのです。

デヴィ夫人とスカルノとの出会いのきっかけは?

デヴィ夫人は、19歳の時に、インドネシアへの開発援助に伴い、東日貿易の秘書という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれました。そしてそこで3年間、愛人として暮らした後に結婚し、第3夫人となります。

年の差39歳。

インドネシアは一夫多妻制で、スカルノ大統領は第4夫人までもちました。

大統領との出会いのきっかけは、偶然でした。

大統領がプライベートで日本を訪れていた際に、夫人が友人と映画を観に行くため待ち合わせ場所に、大統領一行が偶然通りかかったのだそうです。

大統領は美しいデヴィ夫人を一目で気に入り「一緒にどうぞ」と声が掛かったということです。

チヨコ・デリ

ただ、この話も、以前チヨコが何かで聞いた時は、デヴィ夫人が勤めていたクラブに大統領が客として訪れ、そこで見初められた、ということでしたが。

何が真相なのか、もはやわかりません。

デヴィ夫人の亡命の理由は?

1965年9月30日、インドネシアでクーデター未遂事件が起こり、インドネシア共産党と共産党を支持基盤の一つとしていたスカルノ大統領が背後にいるとされ、失脚してしまいます。

当時、その流れでインドネシアでは大量虐殺が起こり、元大統領夫人だったデヴィ夫人も命の危機にさらされます。

夫人は妊娠していたので、故国日本で娘のカリナさんを産み、そして今度は、亡命に比較的寛容な国とされるフランスへと渡ります。まだスカルノ元大統領が存命中のことでした。

まとめ

今回は、デヴィ夫人の生い立ちやスカルノ大統領との出会い、亡命のところまで経緯をまとめてみました。

パリに亡命した後、社交界でデビューして、恋人を作ったりしてそのモテぶりも半端なかったですが、デヴィ夫人の男女関係を追っていくと、かなりの作業量になるので、今回はここでやめておきます。

日本では、津川雅彦さんが恋人だった、という話ですし、フランスではあのアランドロンと付き合っていた、ということですし。

夫人が、ただ美しいから、という理由だけではなかったと思いますよ。