美輪明宏さんの昔がミステリアスで現在も!息子は誰?ガクトが気になる!

精神世界で高いところにいるのではないかと思わざるを得ない歌手の美輪明宏さん。

携帯の待ち受けにしておくとご利益があるとも言われています。

ここでは、そんなミステリアスな魅力のある美輪さんの若い頃と現在や、息子さんのことなどについて焦点をあててみましたヨ!

美輪明宏さんの昔がミステリアスで現在も!

そうなんですよね。

チヨコは昔、美輪さんがまだ金髪ではない、今よりずっと若い頃に、歌っているのをTVで見たことがあるんですよ。エディット・ピアフの歌だったかと思うのですが。

男性の声をしているのに口紅を塗ってお化粧をしていて、不思議な人だと思いました。

その番組は、美輪さんの若い頃の写真などを紹介していて、上の写真のように細身で今でいうイケメンの化粧した男性が映っていました。

【美輪明宏さんのプロフィール】

 

氏名:美輪明宏(みわ あきひろ)

本名:丸山明宏(まるやま あきひろ)

生年月日:1935年5月15日

出身:長崎市

血液型:

身長:161cm

学歴:海星中学校卒、国立音楽大学附属高校中退

趣味:オフィスミワ

美輪さんは、裕福な家に生まれましたが、長崎の原爆により一家は厳しい生活になったということです。

しかし、戦後に観た映画の中で、歌手の加賀美一郎さんのボーイソプラノに衝撃を受け、声楽とピアノのレッスンを受け、見事に東京の現国立音楽大学附属高校に合格し、一人で上京します。

ところが、父親と不仲になり仕送りを止められてしまい、やむなく高校を中退し、働くことになります。

進駐軍のキャンプ廻りでジャズを歌いギャラをもらったのが、歌手生活の始まりだそうです。

16歳の頃でした。↓その頃の年齢に近そうな写真を見つけました。

17歳頃、銀座7丁目にあるシャンソン喫茶「銀巴里」でボーイ兼歌手募集の張り紙広告を見て、これに応募します。そして、歌手として専属契約を交わし、国籍・年齢・性別不詳として売り出す。

チヨコ・デリ

確かに、ミステリアスな雰囲気だから。

当時は、銀巴里に通う三島由紀夫をはじめとする多くの文化人からの人気を得ました。また、「メケ・メケ」というレコードも出し、人気となります。

けれどもその人気は続かず、すぐに低迷してしまい、自身も原爆病に悩まされます。

1963年、東京オリンピックの前年に、ジャズピアニストで作曲家の中村八大らの助力により、リサイタルを開き、1964年に「ヨイトマケの唄」を発表します。そのことにより、人気が再燃するのです。

そして、映画や舞台で三島由紀夫と組んだ「黒蜥蜴」が大ヒットします。

近年では、声優としても「もののけ姫」や「ハウルの動く城」でも活躍し、舞台やテレビでも活躍しています。

現在は、2019年に軽い脳梗塞を患い、以前よりは活動を控えているようです。

美輪明宏さんの息子は誰?

美輪さんは、独身ですが、養子縁組した息子さんがいらっしゃいます。

息子さんになったお方は、元俳優の藤堂貴也さん。

美輪さんの17歳年下で、文学座の研究生だった17歳の頃に、知人の紹介で美輪の付き人となって以来、美輪さんの身の回りの世話をするようになったお方です。

その後、美輪さんの個人事務所の「オフィス・ミワ」の社長に就任しています。

美輪明宏さんとガクトが気になる!

美輪明宏さんを検索すると、「ガクト」という言葉が出てきます。

あのGACKTさんのことです。

何か関係があるのかと思い、調べてみたところ、特段の関係があるわけではなく、ただ、美輪さんの若い頃とガクトさんが似ているのではないか、ということが取沙汰されていました。

両人とも色白で線が細くて美男です。

顔のつくりや目の形、鼻、などパーツではなく、お二人が最も似てるのは、ミステリアスなところではないでしょうか。

美輪明宏の昔も現在もミステリアスで息子は誰でガクトが気になるのまとめ

美輪明宏さんの昔と現在、息子さんのこと、ガクトさんとの関係などについて書かせていただきました。

美輪さんの歌を初めて聴いた頃のチヨコは、歌の意味などわからず、価値もわからなかったですが、大人になって、それこそ大分経ってから、「ヨイトマケの唄」を聴いた時は、感動で涙で顔がグシャグシャになりました。

今もまた聴きたいと思いますし、それよりも黒トカゲの舞台を一度も観れなかったことが残念でなりません。

病気もされたし、もう上演は無いのでしょうかね。